2026年4月、神奈川県の海老名総合病院救命救急センターから3ヶ月間、診療所の仲間に加わってくれた大保聡一郎先生の勤務が6月末で終了となります。
大保先生、みんなの診療所に来てくださり本当にありがとうございました。
この3ヶ月は私にとっても、診療所にとっても大切な時間となりました。
思い返せば、初めて大保先生から連絡を頂いたのは
2025年11月のことでした。
八戸市立市民病院救命救急センター時代に共に働いていた先生を経由してお声掛け頂きました。
年間1万台ほどの救急車を受け入れ、超重症患者さんの治療にも積極的に取り組むバリバリの若手救急医が、奄美大島の小さな町医者のところで働きたいなど一体どうしたことなのだろうと、困惑したのが率直な感想でした。
しかし話を聞いてみると、大保先生も鹿児島出身で生まれ育ったところも小さな町で、もともと地域医療には興味があったとのこと。それでも、奄美の中核病院の方が彼のニーズに合っているのではないかとより大きな医療機関もおすすめしたが、結局、年明けの2026年1月に診療所に見学に来てくれました。

ちょうどインフルエンザシーズンで、発熱と定期受診の間に、たまに耳鼻科疾患、外傷などがやってくるという、外来をお見せすることになったのですが、何故か彼は興味津々で、楽しそうに見学して行ってくれました。木曜日のドクターヘリ当番にも同行してもらい、県立大島病院救命救急センターも見学してもらい、中村センター長にも会って頂きました。
短い奄美訪問の後、程なくして、やはり4月から診療所での勤務を希望するとお返事を頂きました。貴重な医師6年目としての3ヶ月を、診療所で過ごしてもらう、その価値を診療所が提供できるか、本当に不安でしたが、大保先生の決意は固く、所属病院の上司である山際センター長や事務の方ともお話しさせて頂いた上で、お引き受けさせて頂くことになりました。
週4日を診療所で勤務してもらい、週1日を県立大島病院救命救急センターで勤務してもらうという勤務形態としました。
診療所から紹介する立場と、診療所からの紹介を受ける立場の両方を同時に経験することはとても意義深いものだと考えたからです。また、県立大島病院での勤務は同様に海老名地域の中核医療機関である海老名総合病院との規模や役割の違いを経験して頂くのにもとても良い施設だと考えました。そして、ドクターヘリの基地病院であるため、奄美大島にいながら、そのほかの奄美群島の状況も間接的に感じ取ることができるからです。
そして、いよいよ4月を迎えました。

大保先生は早速、奄美大島の耳鼻咽喉科、小児科、皮膚科の需要と供給のアンバランスを痛感したはずです。中耳炎、アレルギー性鼻炎、副鼻腔炎、めまい、難聴、水いぼ、とびひ、アトピー性皮膚炎、接触性皮膚炎、蕁麻疹、炎症性表皮嚢腫、子供の風邪、予防接種、怪我などの多さを感じたのではないでしょうか?
また、採血は全て外注、レントゲンは自分で撮影する。CTやMRIはない。という環境の中、時には緊急手術が必要なほどの重症度の方や、救急車搬送が必要な症例も来院されるため、限られた医療資源の中での医療という意味でも、新鮮だったのではないかと思います。
小徳と原の患者さんマネージメントの違い、得意分野の違いなども感じてもらえていたら嬉しいです。小徳が一生懸命SNSでの発信を続けている理由なども、この3ヶ月を通じて共感してもらえていたら嬉しいです。
診療のみではなく、保育園や学校の健診、産業医活動としての安全衛生委員会への参加、みんなの保健室への参加、職員向け急変シミュレーションの実施、小徳の沖永良部への性教育関連の講演への帯同なども経験してもらい、地域の医療機関が診療以外の部分でも多岐に渡り活動していることを経験してもらいました。
小さな診療所なだけに、臨床的なことのみならず、チームビルディングや組織としてのちょっとした意思決定など組織運営的な場面も少し垣間見てもらえた気がしています。
職場を離れたら、奄美の海や山、食、文化なども存分に楽しんでくれたようでした。また、県立大島病院の若手の先生方にも仲良くして頂いて交流が深まったようでした。

結局、3ヶ月はあっという間に過ぎてしまい、この文章を書きながら、私はひしひしと大保先生がもう診療所を離れてしまったことの寂しさを感じています。
大保先生は、診療所の診療スタンスに柔軟に適応してくれて、いつも笑顔で、穏やかな声で、患者さんにもスタッフにも接してくれて、それでいて診療は的確で、小さなことにも関心を持ち、一つ一つの意思決定にこだわりを持って日々を過ごしてくれました。
診療所で毎日のように遭遇するありふれた疾患たちが、大保先生の目には新鮮に映るのだという事実に逆に私は新鮮な感動がありました。彼は、与えられた環境を楽しみ、そこから学び、自分を成長させる力を持っていました。私が心配などすることは何もなく、この3ヶ月を最大限有効に活用し、自ら様々なことを吸収していきました。
その姿に、むしろ私が勇気づけられる結果となりました。
大保先生のような優秀な若手救急医にも、診療所での日常が何か成長のきっかけを与えることができるのかもしれないと思うと、みんなの診療所が持つ潜在能力をまた一つ見つけてくれたような気がして、大保先生には感謝するばかりです。
そして、大保先生が奄美にいることをきっかけに、お母様や奥様、ご友人などが奄美を訪ねて来てくださり、大保先生のみでなく、彼の周りの人も奄美を楽しんでくれたことも本当に嬉しく思いました。
日々の診療のことのみでなく、鹿児島県のこれからのこと、地域医療のこと、特に過疎地域での医療のこと、そして、そこに暮らすということ。その先にある、仕事や教育のこと。この先のキャリア形成のこと。そんなところまでも語り合う時間が持てたことは、本当に有意義でしたし、彼の想いを聞くたびに、なぜ彼が奄美を選んできてくれたのかが分かるような気がして来ました。
この3ヶ月を通して、私や小徳やスタッフがどんな思いで、この診療所で診療に臨んでいるのか。この診療所をどのような場所にしていきたいか。奄美の医療にどのように関わっていきたいか。そういう思想的な部分を共有してもらえたのではないかと感じています。いえ、私がそれを感じとって帰ってもらえたらと思っているだけなのかもしれません。
私たちにとっては、診療所が今後も大保先生のような若手医師に何かを感じてもらえる場になるかもしれないという自信をもらった3ヶ月となりました。
また大保先生という、心優しい優秀な救急医が診療所の仲間になってくれたことはこの上ない宝物です。これは、大保先生が診療所を離れてもマインドで繋がり続けることができるものだと勝手に感じています。
5年後、10年後、大保先生がさらに一段と立派な医師になった時に、この3ヶ月で経験した、診療所での経験が大保先生の診療に奥行きや幅広さや懐深さを与えるものとなっていたら嬉しいです。
大保先生、改めて、みんなの診療所に来てくれて本当にありがとうございました。
先生との出会い、共にした時間は私にとって、診療所にとって、大切な宝物です。
また、いつでも奄美に遊びに来てください。大歓迎いたします。
そして、海老名に戻っての益々のご活躍を期待しております。






