2020年7月1日大雨の中、みんなの診療所は始まりました。なんとも印象的な船出でした。あれからもう5年の月日が流れました。自分では想像だにしなかったことの連続で、いったいどこから文字にしていけば良いのかわかりませんが、この一つの区切りを機に、今までを振り返りながら、原の頭の整理のためにも、診療所のこれからの進む道を照らすためにも、この文章を書き上げたいと思います。おそらく長文になると思います。どうか皆様お付き合いください。
~感謝~
まず診療所に関わってくださる全ての人に、『ありがとうございます』と感謝の気持ちを伝えたいと思います。
<家族にありがとう>
守られた県職員、救命救急センター長というポストを捨てて、個人事業主になることに反対せずついてきてくれた妻。今では診療所外の事務的な作業はもちろんのこと、スタッフみんなを気遣ってくれて、家庭でも診療所でも依存しっぱなしです。妻なしでは診療所も私もこの5年は乗り越えられませんでした。本当に『ありがとう』
子供達。土日も祝日も年末年始も診療すると決めたから、開業した後は、ゆっくり週末に子供達と遊ぶということもめっきり少なくなりました。それでも、私を父親として認めてくれて、慕ってくれて、立派に成長してくれて、本当にありがとう。こんな父ですが、一応、いつも4人のこと気にかけているつもりです。この20年弱の期間で、私の父としての側面を育ててくれたのは4人の子供達です。父としての先生とでもいうのでしょうか?子どもたちの成長を通して、人として私自身も成長させてもらっていると感じます。心優しく、明るい子供達、妻に囲まれて私は幸せです。

<スタッフにありがとう>
私と妻を除くと、8名で始まったみんなの診療所。今では小徳も含めて、スタッフ13名まで仲間が増えました。途中、異動などで診療所を卒業したスタッフもいるけれど、その方達も含めて、今まで診療所に関わってくれたスタッフ全員が、今のみんなの診療所を形作ってくれたのだと感じます。そして、診療所を離れても『みんなの診療所らしさ』をずっと心に持ってくれていると信じています。
ここまでも決して平坦な道のりではありませんでした。私も日常診療で手一杯で、心身ともに余力がなく、スタッフのみんなに相応しく態度で接していたことも多かったと思います。そういう時は後でこっそり落ち込んで反省していました。そんなリーダーとしても不甲斐ない私ですが、本当に志しが高いスタッフ、懐が深いスタッフに囲まれているおかげで、今日の日を迎えることができました。自分で言うのもなんですが、当診療所のスタッフは皆一人一人が自律しており、自分で考え、動くことができます。何が一番診療所を利用してくださる方のためになるのか、今診療所にある資源の中でどうしたら最大のパフォーマンスが出るか。どうしたら、他のスタッフがより働きやすい状況になるか。もちろん、思っていることが全て実現できるわけではありませんが、各々が自分の哲学で考え取り組んでくれています。原は概ねそれを見守りつつ、時々、自分が進みたい方向はこちらですと、灯りで照らしたり、笛を吹いて注意を引いたりするだけで、このチームは自ずとその方向に向かって進んでくれます。個性的な仲間との日々は刺激的で、私も漫然と働いていてはこのスタッフからの信頼は得られないなと日々緊張感を持って仕事に臨んでいます。そんなスタッフに囲まれて仕事ができる私は幸せ者です。

<地域の皆様にありがとう>
みんなの診療所は当初、朝6時30分から夜20時まで、土日も祝日も年末年始も診療するといって始まりました。しかし、私が思っていもいなかった状況となり、診療スタイルは徐々に変わっていきました。
多くの方に受診していただくようになったため、スタッフを集約化するため診療時間を短くしました。徐々に診療以外の役目をいただくようになりました。現在では町の5歳児健診、就学前健診。4つの保育園、2つの小学校、1つの施設嘱託医、1つの企業の産業医をさせていただけるようになりました。また、月に1回は奄美ドクターヘリのフライトドクターとしても勤務を続けさせていただいております。このような通常診療以外の役割をさせていただく時間の確保のため、第2、4日曜日と、大型連休の間は2日間、休診を頂くこととして、その分木曜日に診療以外の役割をさせて頂く日が増えました。
発熱外来、予防接種、健診などもご利用していただく方が徐々に増えてきて、同時に行うことが困難な状況になってきたため、発熱外来の時間を短縮し、健診も予約制として、予防接種の時間と発熱外来の時間を部分的に分離しました。
若手医師の受け入れのために、専門医の取得や維持を継続する事にあり学会出張などが必要で休診とする日が増えました。
このように診療時間の変化や休診日の増加により今までご利用いただいて方にはご不便をおかけする結果となりました。
しかし、多くの皆様は温かくその変化を受け入れて下さいました。
このスタッフの人数で診ることができる患者さんの数には限界があります。そのため、常に、やりたいこととできることの取捨選択を狭まれる毎日です。本当はもっと、地域の皆様に多くをお届けしたい、と思いつつ、人的、時間的、物的な限界との間で私も悩みながら進んでいます。
その悩みながら進む毎日でも、これで大丈夫かもしれないと思えるのは、地域の皆様が私の決断を、進む道を広い心で受け止めてくださるからです。
温かい地域の皆様に支えられながら、日々の診療ができる私は幸せ者です。
<関係各機関の皆様にありがとう>
島という土地がら、行政やその他の医療機関、関係業者の方々とも濃密な時間を過ごすことが多いかと思います。私は自分が感じること、進みたいと思っている道などをついつい口に出し、その実現のために行動を起こさずにはいられない時があります。もちろん、それが手放しで歓迎される提案の時は良いのですが、初めての試みだったり、大変な工夫が必要だったり、段取りが必要な案件であることもしばしばです。私のわがままに熱心に耳を傾けて、頭ごなしに否定せず、どうにかして私と伴走しようとしてくださる皆さんの心遣いを日々痛感しています。
これは本当に当たり前ではない、文字通り『有難い』ことだと思ってます。今、奄美の医療の置かれている状況は決して楽観視できるものではありません。見て見ぬふりをすれば傷口は大きくなっていくばかりでもあると思います。ですが、愚痴を言っても、誰かにお願いしても、明日の奄美が良くなる訳ではありません。自分たちの街は、自分たちの島は自分たちの手で何とかしないと、誰かが自分たちより一生懸命奄美のことに取り組んでくれることなんてあるわけがありません。だからこそ、めんどくさいと思われても、うるさいと思われても、言わなければならない事はあるし、自分も日々、まだ自分にできることがあるんじゃないかと模索する日々です。そんな私の言葉や行動に最大限配慮してくださる関係機関の皆様の大人な対応に、冷静さに、その裏に隠された情熱に本当に感謝しています。この仲間たちと奄美の街を作っていけるのなら、奄美の未来は明るいと思わせてくれる皆様ばかりです。ありがとうございます。こんな街に、こんな島に暮らせている私は幸せ者です。

~その瞬間を全力で生きる~
この5年私の予想はことごとく外れました。ですが、結果的に診療所は私が思った以上に成長しています。これは私だけでなく、診療所に関わるすべての人が診療所を育ててくれたからに他なりません。
こんなに多くの方にご利用していただけるとは思っていませんでした。
こんなにも多くの小児を診せていただけるとは思っていませんでした。
自分が拡大鏡を使って耳鼻咽喉領域の診察をする日が来るとは思っていませんでした。
こんなに多くのスタッフと共に診療することになるとは思っていませんでした。
研修医の地域実習の受け入れを行う日が来るとは思っていませんでした。
総合診療専門医の専攻医を受け入れることになるとは思っていませんでした。
徳洲会病院から医師が外来研修に来てくださるとは思っていませんでした。
中学生の職場体験や看護学生の実習が来てださるとは思っていませんでした。
開業してから新しく専門医を取得したいと思うとは思っていませんでした。
みんなの診療所で婦人科診療が始まるとは思っていませんでした。
こんなにも多くの校医や園医、嘱託医をさせていただけるとは思っていませんでした。
自分が臨床研究の本を購入する日が来るとは思ってもいませんでした。
診療所で英会話教室が始まるなど予想するとは無理でしょう。
なんと今後、医学生の実習も受け入れさせていただくことができるかもしれません。
こんな小さな変化の連続で、みんなの診療所はその時、その時、地域の変化に合わせて、診療所もその姿を変えて、この瞬間を全力で生き抜こうとしています。地域が求めているものの中で、診療所にできることを全力でやる。
地域のニーズを映し出す鏡のような存在が『みんなの診療所』なのだと思います。
そのスタンスはきっとこれからも変わることはないでしょう。

~この先のみんなの診療所~
先日、ある人にこんなことをふと聞かれました。
『良い医師とはどんな医師だと思いますか?』と
ド直球とも思えるシンプルかつ、本質的な質問です。
私はすぐに答えることができませんでした。
それは『医師』と限定する事に意味があるのか?と考えてしまったからです。
例えば
良い政治家とは?良い経営者とは?良いスポーツ選手とは?良い父とは?良い夫とは?
という質問と良い医師とは?という質問に答えの差があるのか?と悩んでしまったからです。
私は少し考えたあと、こう答えました。
*内向的には 現状に満足しないこと
*外向的には お互いの状態が良くない時でも一緒にいられるような人間関係があること
これは、結果として、良い医師とは?という質問ではなく、
自分はどんな人でありたいかという質問の答えになってしまいました。
内向きには、現状に満足した時点で成長が止まってしまうと考えていて、満足は相対的な退化であると感じているので、常に向上心を持つことという意味で言いました。これは医師でなくても同様のことが言えます。例えば家族であっても、より良い夫婦関係、親子関係となるためにお互いを尊重しあい、互いに学び合い、高め合っていかなければなりません。
外向きに意識を向けると、自分や周りが楽しい時、順調な時は多くの人が自然とそこに集まってくることでしょう。ですが、自分や周りが辛い時、苦しい時、うまくいかない時。その場を去っていく人も少なくありません。そんな時でも苦しみを分かち合い、共に歩んでいける関係性を自分の周りの人たちと作っていきたいという意味で言いました。これは、まず自分が、そうあらなければならず、自分の身の回りの人が辛そうな時、うまくいかない時こそ側でその痛みや苦しみを分かち合おうとしなければ、自分がそうなったときに自分のそばにいてれる人がいるはずがありません。人と人として常に自分の周りの人とはそのような双方性の関係性を作っていきたいという気持ちでそのように答えました。医師としも完全にいつも適切な診断、治療とはいかない時もあります。自分の診断や治療が功を奏さなかったときも関係性が崩れないような医師患者関係を構築できることが理想的であるという意味で言ったつもりです。これは本当に難しいことだとおもいます。
診療所5年目の節目に根源的な質問に触れ、これがこの先の診療所の、そして私自身の進方向性なのだということを改めて確認することができました。
だから、みんなの診療所はこれからも、現状に満足することなく常に進化を模索します。そして、悲しみや辛さはみんなで分かち合い、楽しいことはみんなで増幅させる、どんな時も逃げずに『ここに在り続ける』みんなの診療所はそいう場でありたいとおもいます。
引き続き皆様の応援、サポートよろしくお願いします。