県病院の救命センターを辞めて、診療所を始める時、事務スタッフや看護師向けに勉強会をする機会はあったとしても、若手の医師とともに働く、指導するということはもうないのだろう。と考えていました。小さな町の診療所にそのニーズもないだろうとも思っていました。
しかし、これまた光栄なことに県立大島病院と大阪のりんくう総合医療センターから地域研修医師の受け入れの依頼をいただきました。また、2025年度からは総合診療専門医取得のための研修プログラムに参加させていただき、専攻医1名を診療所に向かいいれることになりました。
私は、中核病院でしか経験できない手技や症例の経験を若い医師は求めていると考えていました。実際私にもそういう時期がありました。しかし、実際に研修に来てくれた先生たちに話を聞くと私が思ってもみなかったところに刺激を受けてくれていることに気がつきました。自分が、当たり前だと思っていて、そんなことに興味はないだろうと思っていることに、彼らは新鮮さを感じているようでした。自分の普段の臨床を、そして地域の最前線で診療をするというこの空気そのものを感じてもらうことも、若い先生方には何かしら得るものがあるのかもしれないと感じるようになりました。
今年は県立大島病院から、恵島先生、中島先生、相見先生の3名、りんくう総合医療センターから花岡先生、宮田先生の2名が診療所へ研修に来てくれました。そして、2024年も1月から県立大島病院の先生が研修に来てくれることになっています。短い期間ですが、診療所の雰囲気を感じてもらえたら嬉しいですし、地域医療に興味を持って、いつかまた奄美で一緒に働ける仲間がそこから現れたらと淡い期待も込めています。
県立大島病院の研修医3名のうち恵島先生はみんなの診療所への研修のトップバッターとしてきてくれました。研修の受入実績のない診療所に飛び込んでくることは勇気が必要だったと思います。ですが、その笑顔と前向きな姿勢で1ヶ月を駆け抜けてくれました。恵島先生が診療所で奮闘する姿を見て私がエネルギーをもらいました。
中島先生はクールな中に熱い思いを宿した頑張り屋さんでした。自分の納得のできないことはしっかり質問して、一つ一つを自分のものにしていくその姿が印象的でした。短い期間でとても成長したように感じました。
相見先生は柔らかな物腰で、丁寧に一人一人の患者さんに向き合ってくれました。原がセカセカとしている分、相見先生の診察風景を見て、自分も見習わなければいけないなと思う場面もありました。

また大阪のりんくう総合医療センターからも研修を受け入れいました。
7月は花岡先生がきてくれました。これまた、大阪から何も縁のなく突然みんなの診療所にくることはとても挑戦だったと思います。要領の良い花岡先生は淡々と診療所のやり方に合わせてくれました。私が話すことをすぐに理解して実行してくれるとてもスマートな印象でした。奄美の夏も満喫してくれたようでした。
9月は宮田先生がきてくれました。明るくて素直というのが宮田先生の印象でした。診療所のそして奄美の一つ一つを楽しんだり、刺激を受けたりしてくれたのではないでしょうか。花岡先生同様奄美の海や自然も楽しんでくれたようで何よりです。
今年の若手医師の受け入れい、そして、地域の医療が少し縮小していくかもしれない様子を見ながら、もう一度、地域で医師を育てるということにも関わってみようという決意をしました。
そのため、一度失った、プライマリケア認定医の資格を再取得し、現在その資格を足がかりに指導医の取得のため講習をうけ、書類の準備を進めています。また、日本地域医療学会の『地域総合診療専門医/指導医』の資格取得も目指そうと、今、準備を進めています。もし、叶うなら、地域総合診療専門医専攻医プログラムの認定施設となり、専門医取得を目指す医師の受け入れができる施設となれたらとも考えています。そのため、今までは診療100%だった頭を一部、『教育、指導』にも傾けていかなければならないと感じています。私に、診療所にそのニーズがあるのならそれはとても嬉しいことですし、最終的に奄美の医療の継続性という点においても大切な視点だと考えています。