【はじめに:この文章は『自分って頑張ってるよね。だからみんな褒めてくれよ』というために書いた訳ではありません。これは発信する側が発信しなければ、この危機的な状況を知ろうとする人がいないために自ら書かざるを得なかったものです。本来は他の誰かに文字にして欲しかった。でもまずは知ってもらうことが必要だと思いましたので文字にすることにしました。不愉快に思う人は読み飛ばしてください】
背中に汗が伝う感触が伝わり、フェイスシールドにも額からポタポタと汗が落ちてくる。診療所と駐車場を往復するだけなのに呼吸が荒くなり、動悸がして、少し休まないと次の診察ができない。汗拭き用のタオルを1日に3枚も4枚もビショビショにして、ガウン着脱のレッドゾーンには、いつも1リットルの飲み物とお昼ご飯がわりのおにぎりやお菓子を傍に、次の診察までの間に一口水分と栄養補給。朝6時半前からでき始める発熱外来の行列と向き合い、ようやくその列の最後の一人を診察し、その日初めて一瞬診察の切れ目ができたと思うともう15時。その頃からコロナワクチン接種の方の来院がピークを迎え、ワクチン接種が落ち着くと、定期受診の方の電話再診のため電話をかけ始める。その間にもポツリ、ポツリと発熱外来のも受診に来られる方がおり、そこまで落ち着くと既に日没の19時。書ききれていない紹介状や確認できていない採血検査データをその後に確認し、気がつくと20時の診察終了。受付人数を確認すると90人。そんな日々が毎日のように続いた8月の診療。120名受診の日は、より壮絶な1日となる。

家に帰ると21時。二男二女は既に夢の中。家のことは今まで以上に妻に任せっきり。さらに、毎日診療所の仕事も手伝いに来てくれていた妻にもだいぶ負担がかかっていたと思う。夏休みなので、日中妻が診療所に来るときは下の子供達二人は診療所についてくる。きっと退屈に違いない。家に残されたオンライン夏期講習中の長男は講義中に席を立ち、荷物の受け取りなどもかって出てくれた。ちょっと申し訳ない気分にもなるが、今、妻のサポートなく診療所の日常を考えると、他の職員に対する負担がさらに大きくなる。それがわかっている妻は家のことは後回しで子連れて毎日診療所に来てくれた。文字通りスタッフ全員一丸となり、そして家族も全員一丸となりこのコロナ第7波と対峙してきた。
8月11日の木曜日が祝日だったため、夏休み前13連勤だった私は、休み前の数日は後3日頑張れるかな、あと2日心身は大丈夫かな?と流石に自分も不安になるような日々だった。そりゃ、東京に住む母も私の働き過ぎを心配するわけだ。
しかし、診察する資格と体があり、そのニーズがあるのに、出し惜しみをして余力を残して、診察を切り上げるという選択肢は私にはない。
親の生命保険を解約してもらい、無利子で学費を貸してくれた親戚のおかげで今の医師としての私がいる。
断らない医療をモットーする研修病院で研修し、
瀬戸内では『何かをやらない理由は星の数ほどある。しかし、何かをやる理由はたった一つしかない。それはやるべきだからだ』という教えを恩師に教わり、
八戸では『うちじゃ無いと他が断ることは全て救急科で引き受けよう』と指導された。
だから、自分の許容範囲ぎりぎりまではニーズに答えたい。そう思っている。それが私を育ててくれた方たちへの恩返しだと思っている。
その限界ぎりぎりを垣間見たのがこの8月前半だったと思う。
あれだけSNSで発信しても、ブログで発信しても、誰もその様子見を観にくる人はいなかったし、記事にする人はいなかった。きっとみんなにとってあまり直視したくないことなのだろう。それでも需要に対して供給は不足している。その事実は消えはしない。
そして、箱根駅伝でゴールをした選手のように、その場に倒れ込むような形でこの夏休みを迎えた。
診療所用の携帯電話は電源を切り、プライベート携帯は機内モードにした。腕時計も外して、目覚ましのアラームを解除して、眠りたい時間に寝て、起きたい時間に起きた。ほとんど飲まなくなったアルコールも1日目だけ口にした。あれだけもう限界だと思っていた体は休み1日目にゆっくり起きたら、もう辛くはなかった。しばらく、あの防護服を着なくて済む、1日15kmもその格好で歩く必要がない。食べい時に食べ、飲みたい時に飲み、いきたいときにトイレに行ける。そう思えるだけで気持ちは一気に軽くなった。

子供たちと一緒にプールに行き大人気なくはしゃぎ、普段父親らしいことも何もできていない私に『ねぇ、お父さん、次はあれしよう』『お父さん、それ終わったら次はこれね』と次から次へと求められるこの日々はなんて幸せなことだろう。
去年、評判だった、おうち夏祭りを今年もやりたいと言うので、ちょっと前から妻と二人で色々仕込みをして、1日がかりで準備をした。いざ始まると一瞬で終わる。でも、『全部楽しかった』の一言。そして、お菓子とスーパーボールとヨーヨーを抱えきれないほど持って浮かべる満面の笑みをみたら、行動制限のない夏休みなのにどこへも連れていってあげられない子供たちへのせめてもの思い出作りができたかと、こちらが癒される。

せっかくの診療所の夏休みなのに、毎日、子供たちを全力で遊ぶもんだから、あんまり休めない妻も笑顔で子供たちや私の遊びっぷりに付き合ってくれる。この柔らかい笑顔にどれだけ心救われて今まで過ごして来ただろう。妻の心の支えがなかったら今頃、もう、診療を投げ出していたかもしれない。そして、この夏休みもその妻の優しさと懐の深さに甘えて、少し子供たちに父親づらさせてもらっている。本当にありがとう。この休み期間も自分のことはいつも一番後回しで、暑い中写真撮影係をかって出てくれて思い出を形に残してくれた。そんな妻に対して私は一体に何をかえしていけるのだろう。いつも、そんなことを考えている。

あっという間の4日間も、もうすぐ終わろうとしている。
明日からまたしばらくは厳しい日々が待っていることだろう。でも、心の栄養をたくさん補充したので今しばらく、もちこたえられる気がしている。この充電が切れない間に、世の中の新型コロナを取り巻く環境が、そして奄美の新型コロナを取り巻く体制が持続可能なものとなってくれることを願うばかりである。
診療所をご利用の皆様にはご不便をかけしましたが、おかげで原は少しエネルギーの充電を行いました。明日からもまたいつもと変わらず全力で診療にあたりたいと思います。皆様の温かい応援、サポートにいつも支えられ、日々の診療ができております。今後ともよろしくお願いいたします。