ここからは以前noteに記した部分と重複するところも多いと思いますが、なぜ『みんなの診療所』を生み出すことになったのか。その思いを、診療所のコンセプトとともにお伝えできればと思います。私は現在独立準備をしつつ、鹿児島県立大島病院救命救急センターに勤務しています。
私が救急外来で働いていながら、自分が感じる疑問は大きく次の2点でした。
1)なぜこの患者さんはこんなになるまで病院にかからなかったのだろう?
2)なぜこの患者さんは救急外来に受診しなければならなかったのだろう?
一言で言えばこの2つの疑問を解消するための私なりの答えが『みんなの診療所』そのもであると言えます。少し詳しくご説明させて下さい。
まずは1)についてです。
救急外来で働いていると、若い患者さんの救急搬送にもよく遭遇します。話をきくと健診で異常を指摘されていたけれど放置していた。もしくは病院は大嫌いなので行ったことがない。そんな話はよく耳にします。もちろん、それじゃあ若くして亡くなっても仕方ない。若くして高度の後遺症が残っても自業自得だ。と、考えることもできます。
もし私が都会で救急をしていたら、ある日救急外来で診察した後、その患者さんや患者さんのご家族に一連の治療の後、お会いする可能性はゼロに等しいだろうと思います。それは救急という部門が退院後継続的に診療する外来を持っていない事がほとんどだからです。何百万人の人の中で偶然街中で遭遇することもほとんどないでしょう。そうなると、私もその人が今まで病院を遠ざけてきたのだから、若くして大病になり亡くなったり、重い後遺症が残ったりしても自業自得だ。と思っていたかもしれません。

でも、奄美では違います。
奄美では日常の生活の中で、救急外来で惜しくも救命することができなかった患者さんのご家族にお会いしたりすることがよくあります。コミュニティーが小さいからです。後遺症に悩まされている姿を拝見することもあります。そのような場面でも、自業自得だといって、救急部にいる自分には関係ないとそしらぬふりをするのは罪悪感があります。もっと言うと、救急車の後方ドアを開けて患者さんを見た瞬間、普段街中でお世話になっているあの人だったりすることもあります。うすうす何かしら生活習慣病があるだろうと思っていても、医師と患者という関係性で普段関わっているわけではないので、深く突っ込む事も出来なかったりするわけですが、このような場面に遭遇するとそれを後悔する時もあります。
私は奄美で救急をしていることで、救急で診察する前や、救急で診察した後も患者さんやそのご家族と何らかの関わりを持つ可能性が都会の場合よりだいぶ高いのです。もちろん、命が消えそうなところから元気になった姿を見て、すごく嬉しくなるという私たちにとってはご褒美のような経験をすることもあるのでそれはとてもすばらしいことです。ですが、その反面、良い結果が得られなかった時はもっと自分に何かができたのではないかと思うこともあります。

それを考えた結果。
『救急車で運ばれてくる前から患者さんに関わって、それを未然に防ぐことや遅らせることはできないか?』
ということでした。
この小さなコミュニティーならではの、救急のその前と、救急のその後の関わりがもっとうまくいったらこの地域の医療はまた一つ次の段階に入ることができるのではないかと、そんな理想を描いたのでした。
続きは次回へ。